小父さんと小母さん

2014/10/18 (��) 16:14 | Thinking

DSC00208深大寺参道DSC00194神代植物園バラ園

先日の二つの大型台風で日が定まらなかったがやっと長い間ご無沙汰してしまった小父さんと小母さんに会える日がやって来た。台風一過の秋晴れになると思っていたが小雨の日となってしまった。小父さんと小母さんは、私が子供のころの両親を良く知る人なのだ。大人になって両親、特に母親のことを思い出す時には必ず小父さんと小母さんが頭に浮かぶのだった。小父さん小母さんは、私の両親より4、5歳若かった。

私が小学生の頃私の一家は一軒家に住んでいた。小父さんと小母さんは私が小学二年生頃に私たちの家の斜め前に引っ越しをして来た。若いご夫婦だった。すぐに親しくなり可愛がって貰った。私たちは小父さん、小母さんと呼び日常の生活に欠かせない人となった。母親が病気の時や入院した時等は食事の世話や夜も泊まってくれたりして私や兄妹の面倒をよくみてくれた。宿題をみてもらうためによく小父さんと小母さんの家に入り浸たる事もたびたびあった。母親が亡くなった後は特に小母さんが私たちの世話をしてくれた。時々小父さんと小母さんの田舎にも遊びに連れて行ってくれた。本当に大好きなおじさんと小母さんだった。私の父も小父さんと小母さんが大好きでとても良い関係で長い付き合いは続いていた。

私が高校一年の頃小父さんたちは三鷹市の方に引っ越した。そこで事業を始めた。私は何度か三鷹のお宅にお邪魔したが、大人になるにつれだんだん遠のいてしまった上、忙しいことが重なりなかなか連絡がとれなかった。が、4、5年前から新たに年賀状で挨拶を交わし始めた。時には電話でお話もした。小父さんも小母さんも声の調子は昔と変わらなく安心した。そして数回の電話のやりとりで今回三鷹のお宅を訪ねることが出来て本当に嬉しかった。
当日、小父さんは京王線の仙川駅まで車で迎えに来てくれた。40年ぶりの再開だった。お互いに歳はとったが気持ちは昔のままだった。小母さんが待つ家まで10分程だった。小父さんの家周辺の様変わりには目を見張った。周辺に沢山あった緑地や田畑は全て近代マンションが建てられていた。それでも都心と比べて気温は2度程度低く、空気が新鮮に感じた。

いよいよ小母さんに会えるときがきてドキドキした。髪の毛は真っ白になっていたが昔と変わらない笑顔で迎えてくれた。最後にお会いした40代の時の小母さんと変わっていない。ただひたすら懐かしかった。お土産に持参したピンク系のスカーフがとても良く似合って良かった。3人のおしゃべりは水が流れるように続いた。用意しておいてくれたお昼をご馳走になった。そして私の記憶にない両親の若いときの話をたくさんしてくれた。感無量。小父さんの会社のビルは家に繋がっているので会社の中を見せて貰えた。精密機械を制作している。

小父さんは私の父と良く深大寺を散策しながら仕事の話や人生の悩みなどを話したことも教えてくれた。ちょうど雨がやんできたので小父さんに深大寺に連れて行って欲しいとお願いしたところ、「良い考えだ! 行こう!」と車の鍵をとり3人ででかけることになった。家から15分ほどのところだった。
深大寺の近くの神代植物園公園にも寄った。小雨が降り始めたので足早に公園入り口周辺の幾つかの花壇(写真バラ園)をみて深大寺へと車を向けた。

小父さんは、父と歩いた参道(写真)を歩き思う事があるようだった。「数十年前はあんたのお父さんと歩き今日はその娘と同じ参道を歩くなんて不思議だな〜」と。感慨深かそうだった。 
お参りを済ませ、傘をさしながら不器用に写真を沢山撮った。その後お寺に隣接している蕎麦屋さんで美味しい盛りそばと天ぷらをご馳走になった。これが良く聞く武蔵野の深大寺蕎麦だったんだ。もう私は満足感でいっぱい。

若い頃の両親の話が聞けたこと。小父さんがまだ現役で事業をしている姿。やがてその会社を継ぐ2人の息子さんと3人のお孫さんたちと裏方に徹して家族の世話をする小母さんに囲まれた暖かい家庭を見て私はとても幸せになった。次の春の暖かい日に再会することを約束して私は調布駅から京王線で帰途についた。