波多野 均、 伊勢真知子

2005/09/18 (��) 09:49 | Arts Vues, Le Pont


私の中の風景画
現在の私の風景テーマは、〝道、橋、木の根、朝陽・夕陽、満天の星月夜、野に咲く名もない花......〟そのテーマをシリーズ連作で描く。
日常、見すごしてしまう何げない風景の中にこそ、自然が私に語りかけてくるさまざまなメッセージがある。そのメッセージをスケッチしたり、写真に撮ったり、しばらく置いておく。(ワインと同じで)いい時が来るまで静かに待っている。自分の中で、どうしても描かなくてはならない状態・状況になる時がくる。逃げられない状態だ。絵を描き始める前に、水彩や色鉛筆を使ってエスキースを数点作る。集中力と情熱が高まって、タブローを描き始める。最近は、マチエールも絵の中の課題の一つなので、レンブラントやモンティセリ、セガンティーニやゴッホ等々の絵のマチエールを美術館に見に行くことも絵を描くことの中の一つだ。
集中し、無我夢中になって仕事をする。ずいぶんとタブローの中で格闘し、自分が描いているのではなく、何か大きなもの 宇宙のリズムにつつまれて、描かされている自分を発見する。
先哲の言葉の中に、
「すぐれた人間とは、お金もうけが出来る人ではない。それでは、一生懸命に仕事をすることなのか?すぐれた人間とは、魂・生命のきれいな人のことを言うのだ。」
すぐれた絵を描くために、私は日々精進・努力し、そういう人間になりたい。


今、私が制作している静物画について。
普段、何気なく見ている物、日常生活の断面を一つの平面に置き換えてもう一度見直して見ると、物の持つ形の美しさとか、光を透して色が響き合う空間の美しさが、また違った視点で語りかけてくる、それをどう平面に定着させるか、従来からある油彩画の透明な塗りを重ねて繰り返すことによって習得出来る透明な輝きを今の生活空間の明るさに表現出来るのか、テクニックでない何か、自分の内面的な物を見る視点、考え方が出てくる、それが今まで自分が日本人として培ってきた文化と、今生活しているフランスの文化とがお互いに重なり合い、自然に現れ、私の視点のフィルターを通してそれをそのまま画面に定着させていく、同じテーマを繰り返すことによって少しずつ明確になり、それが他の人にも何かを語りかけるものであればと思います。 よく絵画は視覚を通しての共通言語といいますが、自分の静物が分かりやすい言葉で何かを語りかけ、個人の営みが埋没してしまいそうな人間不在の(現代)社会の中での絵画の持つ意味もあると思い、静物以外でも日常生活の断面をとらえる仕事をつづけていきたいと思います。