Kaléidoscope

著者が日々の生活でふと想う事をつれづれなるままに書き記すエッセイです。

年老いた風見鶏

2002/10/10 (��) 05:16 | Kaléidoscope, Le Pont

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教会の鐘楼の風見鶏が
私達の元にやって来た
着飾った新品の風見鶏の横で
みすぼらしく悲しい姿を見せている

大工に地上に降ろされて
彼の勤めはもう終わり
もう会うこともないだろう
残りの生涯を屋根裏部屋で過ごすのだから

私達の村の風見鶏
疲れて歳をとって擦り切れて
でこぼこになっていた
しなびて錆ついて でも

鐘楼の上にいる姿は立派だった
村を見下ろし
誰も近寄れない高さにとまって
雨や嵐に勇敢に立ち向かっていた風見鶏

何歳なのかは分からない
もうずっと前に生まれて
時代がかわるのを見て来た風見鶏
前世紀の何十年もの間

当時の世の中は貧しかった
それから人々が豊かになってゆき
ルイ金貨が姿を消し
政権が移るのを見て来た風見鶏

お隣さんの鐘に
よく揺すられていた風見鶏
夜明け前の祈りを告げて鳴っていた鐘
古き良き時代

正午には
畑仕事をする農民のため
何か出来事がある度
鳴らされていた鐘

結婚式に鳴った鐘
感動で胸がいっぱい
若き者にも老いた者のためにも
葬列にためにも鳴った鐘

警鐘を打鳴らしたのは
藁葺きの家が燃えた時
警鐘が鳴り響いたのは
開戦を告げるため

平然と
全てを見て来た風見鶏
無頓着なまま
何の影響も受けずに

兵士が通り過ぎる
銃の先に花をさして
しばらくして
ひどくやつれて戻ってくるのを見たのも風見鶏

石に刻まれたのは
戻ってこなかった兵士達の名前
それから叉別の戦争
誰も望んでいなかったのに
我々のフランス国土が

外国軍に侵略されるのを見た風見鶏
そして多くの苦しみの後
国土解放

ようやく平和が戻ってき
全てが変わってゆくのを見た風見鶏
昔懐かしい犁から
農民の木靴まで

広大な平野を見てきた風見鶏
荒れ地と呼ばれていたけれど
あらゆる種を受け入れ
物惜しみせず与える大地

木々が枯れ
垣根が崩れてゆくのを見た風見鶏
畑が広がり
森が後退してゆくのを見た風見鶏

見下ろす路上を
通り過ぎる馬はもういない
見えるのは車だけ
風見鶏の知らない車

ぴかぴか光る客車の中で
往来する急いだ人々
速度に誘惑されて
死んでしまうんじゃなかろうか

雌鶏ももうやって来ない
道にえさをあさりにも
道は道路になって
馬の糞も落ちてない

そこで風見鶏は退屈し
鐘楼を見やると
鐘もまた
傷み始めている

だから風見鶏は驚かなかった
大工がやって来るのを見ても
もう自分でわかっていた
立ち去る時が来たのだと

地上で歓迎された風見鶏
連れ歩かされた後
でも頭が痛くなった風見鶏
何しろ慣れない事なので

鐘楼の上にいたうちは
落ち着きのあった風見鶏
人が近付けるようになってから
落ちぶれを感じる風見鶏

過ぎた時を懐かしむ
かつてこの土地にいた人々を惜しむ風見鶏
風がどこから来るのかと
人は視線を向けたものだった

ぐるぐるとよく回った風見鶏
風がよく吹いたものだ
何日も何日もそうして過ごし
時が過ぎていった

この堂々とした風見鶏の
代わりはすでにいる
我々の祈りが向けられて
今度のやつは何を見ることだろう

マルセル・ジラルド(1903-1994)

当時(1982年)、このポエムが掲載されたパンフレット。ジラルド氏の編集によるもの。

当時(1982年)、このポエムが掲載されたパンフレット。ジラルド氏の編集によるもの。