Kaléidoscope

著者が日々の生活でふと想う事をつれづれなるままに書き記すエッセイです。

洗濯女

2002/10/10 (��) 01:00 | Kaléidoscope, Le Pont

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1999年12月26日、クリスマスの翌朝、稀に見る激しい嵐がフランスを襲った。
幸いにも犠牲者は比較的少なかったが、時速150kmの突風は、100才を超える木、森林をなぎ倒し、屋根や家を破壊し、田舎に数少なく残る納屋をみじんに砕いて去っていった。
さらに、打撃を受けた村々は数日間、いや数週間もの間、電気無しで生活することをしいられた。
「クリスマスが暖かいと復活祭の頃は寒くなる」ということわざがある。
こんな季節外れの暖かさが続くと、この先良いことがないという。
そして「この先」は、まだ誰も知らなかったが、クリスマス翌日から始まるのだった。
毎年恒例、クリスマスには家族勢ぞろいしていた。
子供たちや孫たちも久しぶりに再会して、楽しい笑い声が心地よく耳に響いていた。
七面鳥を食べ終え、さあ、これから恒例のクリスマスケーキを切り分けようという時、皆で一緒にいる喜びをよりいっそう深く感じる時、突然、雷の轟音がとどろいた。
クリスマスツリーのちかちか光っていた電球が消えた。
皆が天井灯に目を向けた。
そう遠くない所に、雷が落ちたようだった。
驚きが去った後、ヒューズボックスのある地下に降りさえすれば、また電気がつくのだった。
この必要不可欠になった、私達の吸い込む空気と同じようにあるのが当たり前になった電気。
一瞬なくなるだけで、現代の生活の全てはそのおかげなのだと思い知らされる電気。
電気無しでは明かりも、暖房も、冷蔵庫もない。
料理もできない、皿洗い器も動かない。 水もテレビもない。
そして洗濯機ももちろん動かない。
電気と洗濯機は、女性を解放した。
選挙権より避妊薬より女性に貢献したといえる。
数時間後には祝宴で汚れたテーブルクロスやナプキンを迎え入れるはずの洗濯機。
「始動」のボタンを押しさえすれば、仕事をしてくれるはず…… 
少し前から私をじっと見ていた8歳の孫娘が言う。
「おじいちゃん、何考えてるの?」
「いや、なんにも…… そうだな、バルブイーズ川の洗濯場に洗濯しに行ってたお前のひいおばあちゃんのことをね」
「洗濯場ってなあに、おじいちゃん」
「洗濯場ってのはね…… ちょっとお待ち、お話してあげよう。
50年前どうやって洗濯していたか。それから洗濯女について覚えてることも」

サンテチエンヌ・スー・バルブイーズにて 2001年11月

洗濯女

家畜小屋に家畜の世話をしに行く前の家の男たちの役目は、ガス台に重い洗濯釜をのせる事であった。
綿のかさばるシーツは、一晩中水につけられて、今は果てしなく煮沸されているところだ。
洗剤と洗濯ソーダの混じりあった湯は、菌をやっつけながらどんどん泡立って、排水管でゴボゴボと音を立てている。
鉄板の大きな容器の蓋は、時々がたがたと左右に揺れ、そこから汚れた茶色の湯が溢れ出て、過熱されたガス台の鋳造の板に跳ね返っては滑稽とも言えるシューという音を立てている。
窓ガラスは湯気にぬれて不透明になっている。
台所のオーブンではテリーヌと林檎のタルトが焼かれているが、洗剤のむっとする少しつんとくる臭いのみが台所に充満している。
夏は外の竃でするけれど、冬はどっちにしろ家の中で火を焚いているのだから、わざわざ外で火をおこして外気をあたためることもないしね。と母は言う。
食事の後、洗濯釜を降ろすのを忘れないでおくれ。
洗濯の日は、唯一母が私に命令を下す日でもあった。
重荷の積んである手押し車が私を待っている。
12歳の私は、一人前の男になりつつあるのを見せて誇りにしていた。
バランスを維持しなければならず、腕が引きつるのを感じる。
なんとか無事に洗濯釜を共同洗濯場まで押してゆく。
母とその手助けをする隣人の女は、箱やブラシや石鹸をかかえて私の後からついてくる。
1951年2月始め現在、バルブイーズ川の水位は高く、橋板はあげられていた。新月が出てから大雨はやみ、これからは寒さがずっと続くようだ。川の土手は凍り始め、棒状の砂糖菓子に似たつららが洗濯場の屋根からぶら下がっている。
洗濯釜は女二人の間に置かれている。
袖をまくった洗濯女二人は、まだ湯気をたてている洗濯水から湯の滴る布を取り出し、板の上に広げる。
女二人はひざまずき、腰をまげて石鹸をつけては力一杯ブラシでこすり、絞っては洗濯べらでたたき、また石鹸をつけてはこするのを繰り返す。
しばらくしてようやく女二人は真っ白い大きなシーツをすすぐのに前屈みになり、澄んだ川に投げ入れる。
シーツは風で膨れた後、冷たい水の中にパンと音をたてて落ちる。
女たちはそれぞれシーツの端をつかみ水から引き上げ、太いロープのようにねじって脱水する。
寒さで女たちの手と上腕は赤くなり、羊毛の分厚い靴下と木靴をはいているにもかかわらず、足は凍りついている。
時々立ち上がっては手足の凍えをとり、血液を循環させるために手を腰に当て、足で地面を音をたてて蹴っている。
前掛けを少したぐり上げて膝をこすりもしている。彼女達の膝は、しなびた大きな赤い林檎を思わせる。
膝の上には、林檎の箱につめる燕麦の藁のような筋が入っている。
「ちょっと、あんた」隣人の女の声に私はビクッとする。
「そんな白目で私の膝を見てる暇があったら、洗濯篭を上げてちょうだい。凍りつく前にさ」
「姉ちゃんに屋根裏部屋に広げるように言っといておくれ」母が続けて言う。
「それから戻ってくる時に、ちょこっとワインを持ってきておくれ。このひどい寒さにゃ、それくらいはいいだろうよ」

女たちの洗濯日であるこの冬の木曜日、私はいずれにしても男でいるのは悪くない、と思った。

ジェイムス・ジラルド
1939年生
定年、農業経営者
サンテチエンヌ・スー・バルブイーズ在住