Kaléidoscope

著者が日々の生活でふと想う事をつれづれなるままに書き記すエッセイです。

2002/10/10 (��) 00:15 | Kaléidoscope, Le Pont

lepont3-editorial
2001年、春の終りに私は知人である日本の若いご夫妻に会うことになりました。ニ晩に渡り、尽きることのない話題で時間の短さを嘆いたものでした。
その話題の中で『時・時間』について触れた興味深い場面では、我々三人の熱の入った語り合いとなりました。国柄によって違う生活の中の時間の概念を、実例をあげてのそのご夫妻の興味深い話に、私はそれこそ時間が経つのを忘れて、吸い込まれていました。それ以来、今日に至る迄、『時・時間』という言葉にまつわる様々な思いを提起しつづけてきました。若いご夫妻の二倍近くの歳に達している私は、今まで、『時・時間』 について考えた記憶がなかったのは, 時間は当然流れてゆく当たり前のこととして捉えていたのだと思いました。時間の持つ客観性、主観性についてさらに考察しようと数多くの書物を読みあさること数か月、そして友人達と重ねての語り合い、そのお陰で、今では、自分なりの『時・時間』の定義がうっすらと見えるような気さえしてきました。過ぎ去った時の中には、無駄にしてしまった時間もあったと思い出しますが、それはもしかすると、贅沢な時間の過ごし方のひとつだったかもしれないと慰め、これからは、自分の手中にある自分でつくりだす時間と、ひとつの方向に進んで止められない時代という時間とうまく融和させて充実なる我が時をつくっていけたらと願っています。
Le Pont 3では環境の違う社会に住む作者が各々の角度で語る『時』の作品を発表します。多くの方々の協力でできたLe Pont 3、 少しでも知的交流の役割を果たすものであることを願っております。
尚、『時』のテーマに多くの作品が寄せられ、ここに発表ができたこと喜ばしく思います。作者の方々にお礼申しあげます。また、『洗濯女』と『父の遺産』の両作者に面会したいという私の我がままな要望を可能にし、作者自身と周辺取材、さらに、『年老いた風見鶏』の舞台となった地へと、二回の週末に渡りそれぞれの地を案内して下さった友人のイザベル・エルバンさんに感謝致します。彼女の惜しみない協力で両作者より心よく多くの資料が提供されました。頁の都合で全て発表できなかったことを残念に思いますことをここに追記させて頂きます。