Kaléidoscope

著者が日々の生活でふと想う事をつれづれなるままに書き記すエッセイです。

Le Pont 4号 「冒険について」

2002/09/03 (��) 11:36 | Kaléidoscope, Le Pont

人間に欠かせない、世界中どこでも、いつの時代にも子供、大人の心に感動、涙、夢、を与え続ける冒険物語り、さらに冒険探偵ミステリー物語と、見る、読む、聞くことを対象としてつくりあげられたれた物語がある。

これらには当然予期せぬ出来事、危険、恐怖等が起こり、限られた時間に最良の解決策を見出し、 機転、叡智、正義、勇気、友情、愛で物語りの進行を包みながら、無事に危険を乗り切り、晴れ晴れとした終末を迎える。
もう一方には、長い時間を経て、結果 的に振り返ると冒険であったという、すなわち、人間ドラマとなるような人生を歩んできた人の物語がある。そこには、現実的に生き生きした情熱を感じ、我々 自身の人生と容易に照らし合わせ共鳴を呼ぶものである。

テーマである冒険について考えていた去る3月に全くの偶然であるが、時を同じくして上記の前者と後者の二つの冒険物語りに出会うことになった。前者はアニメで<千と千尋の神隠し>(宮崎駿作の珠玉の名作)の試写会で心暖まる冒険物語りを鑑賞する機会を与えられた。その2日後、後者に当たる人間ドラマに生き た主人公と、その人間ドラマを見事にドキュメンタリー小説に書き上げた日本の女流作家との両者との出会いで、両者からお話しを聞く機会に恵まれた。(Traversè du Pont)。
主人公である クレットマン氏は祖父の明治初期の日本での冒険といえる生活をより良く知ろうと、日本、日本人への関心を抱き始め82歳にて彼自身の冒険が始まった。やが てその冒険を終えた彼の目に達成感と満足の喜びで輝いていた。

さらに、数えられない程の冒険に生きているトウルイユ氏を訪ねることになった。氏の住むパリのアパートの一室は冒険の証拠としか言えない世界であった。少 年の頃から自身で採集している1000以上の蝶、昆虫、鳥の標本から羽が輝いていた。どこの砂漠で拾ったのか、奇妙な幾何学的な線が刻まれている大小の 石、貝殻、数個のボロボロになったカンバス地の旅行袋が堂々と世界の冒険を語っていた。土地、自然、人間に寄せる氏の並外れた興味心と情熱の一室であった。

人生において、誰でもが必ず経験する冒険。時には人生自身が冒険であり、生きると言う長い冒険の間にさらに突発的に起こる深刻、複雑な出来事、期待した幸 運、思いがけない幸運等、その冒険的な出来事が我々の人生において辛い、甘いスパイスとなり、経験という言葉と重なり合い、我々に味わいのある人間味を与 え続けるのである。