Le Pont

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暗い部屋の黒い画

2002/10/10 (��) 08:14 | Arts Vues, Le Pont

初めて彼女のアトリエを訪ねた。日も暮れた夕刻、明かりの無いアトリエには、制作中の1枚の画がかけられていた。幾重にも塗り重ねられた画は黒く、空間のみを感じさせるものだった。暗闇を手探りで歩くような迷いと不安を感じた。しかし、彼女自身から受ける印象は爽快で、既に、明るい何かを見つけたような表情を見せた。
数ヵ月後、アトリエには、二周りも大きなキャンヴァスが用意され、赤い絵の具が置かれた。何の迷いもない晴ればれとした、喜びを感じさせる画。あの日、暗いアトリエで、彼女は既にこの画を見ていたのだろう。

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塚本邦愛×平井愛子

樹に思いをはせ、樹に自己を投影しつつ、自己の内面へと向かう画家、塚本邦愛。
東洋から西洋へ、鋭い眼光で芸術を探求するアートプロデューサー、平井愛子。
ここに、2人の芸術対話が実現した。

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平井愛子 : どういう動機で絵を始められたのですか?

塚本邦愛 : 最初は、絵ではなくてデザインの為に、27歳の時にフランスに来ました。来るまで、舞台衣装の仕事をフリーで2年くらいやっていました。デザインは好きなんですけど、なんだかもやもやしたものが出てきて…… デザインは私の手段では無いなぁと気付き初めて、自然に絵に辿り着いたんです。自分自身の中に入りたい、普遍的な部分に近づきたい、自分自身になりたいって欲求がとても強くて……

平井 : それは、本質的なessentiel(本質)なものを掴む為には、まだ自分が何かの外側に居るって感じの事ですか?

塚本 : そうですね。それを掴みたいって思うんだけれも、どうやって掴んでいけばいいのか皆目検討つかなくって、それでいろんなものを……自分のアンテナに引っかかったものを手当たり次第やっていた感じがしますね。だから当時は、転々といろんな事をやっていました。デッサンを始めたのはフランスに来てからです。アカデミー・ゴエツ(Academie Goetz-Daderian)という小さなアトリエで、日本人の絵描きと出会って… 私は、油絵って全く描いた事が無かったので……その方に就いて、教えていただきました。その方は、「やり方が問題なんだ」と私に言われたんです。目的地に行くのに、いろんなやり方があるけれども、方法なんだって言われたんです。どんな巨匠でも、ポンッ!といきなりは行っていない、と、必ず通るべきところを通っていっていると言われたんですね。そこを通って自分の世界に入っていくというのが結局一番早いんだ。みたいな事を言われたんですよ。

平井 : フランスに来て、いろいろな絵を見られて、どうでしたか?

塚本 : こっちで一番感動したのは、抽象画かな?

平井 : 私もヨーロッパに来て、抽象画の骨格がはっきりしているのにびっくりしたんですけど、日本の抽象画っていうのはなかなか難しくって……抽象画があまり受け入れられない、好かれないという土壌ですね。その違いは、どのように感じられるかしら?

塚本 : 精神的なものを見ていく土壌が違うのかしら?

平井 : 私は、情緒感の違いに加えて、自然に対するヴィジョンの違いだと思うのです。これは宗教のコンセプトの違いにも通ずると思いますが……日本画なんかを見るとね、すごい違いだな、と思うんですよ……平安の煌びやかな素晴らしい絵画にしても、顔はみんな「引き目鉤鼻」(平安時代、大和絵で目を細く一の字に、鼻を鉤の形に描いた技法)でしょ、一人一人の表情なんてのは、あまり気にしていないの。人間の姿は絵の中に入るモチーフの一つであって、何かを取り立てて、クローズアップして描こうという、そういう意識はないですよね。ヨーロッパの絵画というのは、かなり克明にね、人間の顔の違いとかね、表現とかをね、かなり早い時代から、深く表現してきていると思うのね、これはね、「自然に対する考えの違い」と、「時の捕らえ方の違い」ね。東洋の方がむしろ、時の流れのままに、変化していく、それに身を投じていく、それと共にいく……諸行無常という仏教的な思想があるでしょ。それに、自然に対する考え方が、人間と自然の仕切りがない、人間も自然の一部であり、溶け込んでいるのね。それに対して、ヨーロッパというのはむしろ、その時間の中の一瞬を切り取る、いかに一瞬を変わらないものにしようかと、自分のいる存在感に、引きつけて、なるべく永くそれを切り取っておこうという、意識があると感じとられるのね。こうした試みの果てに見えない世界を表現する抽象画が生まれ、この試みの蓄積がこちらの抽象画に構造力を与えていると思います。

塚本 : 例えば、日本には、書や、日本画、陶芸にしても、「滲み」みたいなものを生かそうとする文化がありますよね。自然にできる上がるものを、そのまま生かそうとした感覚というのか……私の場合、フランスに来てから油絵を始めたわけですが、「形」「コンポジション」という具体的な事より、「空間」という、どちらかと言えば、曖昧なところに興味があって……日本人だなぁと思う時があります。もちろん、形はあるんだけれども、なるべく、はっきりさせないでいたい。でも、なかなか思うようになりません。

平井 : これは、どんなアートにも言えることだと思うけれども、巨匠のレオナルドダヴィンチだとか、ミケランジェロだとかの作品は、今も生きているわけでしょ。またその当時認めらていなかった画家も、不思議にね、後世においてまた浮かびあがってくる。そして、その当時ものすごく有名だった人が、今現在は、そんなに、凄い作家として重んじられてない場合がある。時と共に、いろんな絵画が浮かび上がったり、消えたりするんだけれども……そのアーティストが本当に描きたいもの、そして、自分自身のテクニック、ありとあらゆるものが、マッチしてハーモニーを醸し出した作品というのは、chef-d’oeuvre(傑作)、素晴らしい偉大な作品になっていくんだけれども、それは既にね、その瞬間の捉え方のdimension(拡がり)、それによってね、永遠性というものが、一つ一つの芸術の作品に、生まれてくるんじゃないかな、と、私は思うのよね、

塚本 : 今、私は樹を描いているんですけど、生命の喜びみたいなものを描けたらいいなぁと思っていて。例えば、200年300年という大木を見たときに、生命って素晴らしいすごいなって思うし、嬉しい!という気持ちが無条件に出てくる。そういう気持ちというのが私の中にあって、そういう思いで、その時の自分自身を描けたらいいなって……思います。いつか、自分の中にあるものが本当に豊かなものとして、描き表せたらいいなと、思っています。

平井 : どうして樹をテーマになさったの?

塚本 : 単純に樹が好きだっていうのがあるんですけども……本当の事を言うと描く対象は何でもよかったんです。何でもいいと言うのは、言い過ぎだけど……以前は風景だとか、静物だとかを描いていたんです。今は、自分自身を描きたいという気持ちの方が前面に出てきて、その時に目の前にあったのが大きな樹だったんですね。樹の中にある自分自身を描きたい……樹というものを通して自分の中にあるものを、形あるものにさせてもらおうと思ったんです。

平井 : どうして樹が好きなの?

塚本 : 大きい樹を見ると……うれしいなっと思う。単純に嬉しいなと、思います。

平井 : 大きな樹の歴史に興味を引かれる訳?

塚本 : 私はとってもちっちゃな人間かもしれないけれども、樹は、何百年と生きてきているわけですよね。大きな根っこを見たときに、大地に、深く深く根を張って、大きな樹があるんだという事を実感します。樹に自分の思いを重ねて描いているんです。一番始め、自分にとって、絵を描くというのが目的になっているところがあって……でもある時、目的じゃない、手段だなって事に気付き初めたんです。自分の人生も、幸せな幸福な人生でありたいし、人生いろんなことあるけど、、強くありたい、豊かな人生でありたいと思うようになって……そうした時に、絵っていうのは手段で、その一貫のなかに調和して、自分の人生の中で豊かな絵になっていったらいいなぁって……そしてできれば、それを見てくれた人が少しでも生命の尊厳さみたいなものを感じてくれて……生きることが嬉しいな!と思ってくれたらいいな、というふうに思うようになってきたんです。

平井 : 自分の人生にdimension(拡がり)を持って、そういう生き方をしたいなと……同じ人生であるならば……どんなに長生きしたって100年を超えることは、そんなに無いものね。(笑)大きな樹のようにね、何百年も立っている中には、きっと嵐の日もあるでしょうし、子供がいたずらする刀傷があったかもしれない……いろんな物語がそのまわりにね、起きていたかもしれないけれど……不動に、ずっと佇んでいる大きな樹は、姿だけでも、Philosophie(哲学)を感じるわね。

塚本 : 樹っていうのは、何もものは言わないけれども、やっぱり風格というのがありますよね。何百年という時の存在感、豊かなものを感じられます。その凝縮された空間を通して、大きな生命に繋がっている自分がいると実感する。絵を描き始めたときに、あまりにも風景が大きく、感じたんですね。その時に、「何て私はちっぽけなんだ」「こんなに大きな自然、どうやって描くんだ?!」って思ったんです。でも、今となってよくよく考えれば……小さい自分って思う必要は無いんだなって、生という部分で言えば、対等なはずだって、自然に出来る限りありのままで、対等でありたいと……いう気持ちでいます。

平井 : 私がヨーロッパに来て、美術史の勉強を始めて、いろいろ絵を見ようと、いろんな所を旅行してね、その時に一番感じたのは、イタリアで、本当にこれでもか、これでもかって偉大な作品を見た時にね……「人間の力とは凄いなぁ」っと!思ったの。この絵画は神に捧げられ、思想の根幹には、キリスト教という哲学がある訳だけれども、果たして、それが影響しているのか、また、それはもともと人間がもっている力なのか、私はそれをいろいろ絵を見ながら考えたんだけど、私の中ではね、人間が偉大だと思ったの、人間の持っている、spirituel(精神的)な面においても、表現力の面においても、そうしてこの描き続ける意欲、人間のvolont・意志、意欲)……凄いものがあるわよね。その力が人間の外側にあるんではなくて、人間の内側にある、人間の持っている力なんだって事をね、私感じててね……感動してね!私は、画家の人生では無いわけですから、ダヴィンチの人のような作品は描けるわけは無いんですけれど……でも、自分の生き方、考えている事、行動、そして結果、そういうものがね、ハーモニーを持ってね、展開できるような、人生でありたいと、そういう風にその時思ったの。本当にそれをやりきった時に……きっと、私という作品とその生命に永遠性を具現できるであろうと思ったの。誰もがミケランジェロになるとか、レオナルドになるとか、そういうことではなくて、一つの個性のある人間として、挑戦し続けていくところに、一人一人の永遠性を、必ず発揮していく事ができると思ったの。もちろんアーティストもそうだし、どんな人もそうなんだけれども、主題を明確に掴み取るという事と、それを明らかに、主題を表現しゆく事は難しいですよね。

塚本 : 自分自身というものをどこまで知っているのか、自分が欲するものを本源的なところまで含めて、どこまではっきりと掴みとっているかが大きなポイントだと思います。

平井 : 絵を描く人にとっては、絵を描くことが、自分を知る道になっているんでは、ないでしょうか?発見するでしょ?

塚本 : ええ、発見します。それは、絵だけでは無く、人とコミュニケーションとる中で自分を発見する事もあります。逆にそういう絵以外のところで自分を発見し、絵を描く場合も多いです。

平井 : 絵を描いているとね、時が止まっちゃったように、筆が動かなくなくなる時はありますか?

塚本 : 今はないです。

平井 : どんどん描けちゃうわけね!?

塚本 : う~ん、そういう訳ではないんですが……その事に関する問題は、私自身が壁に挑戦するかしないか、という、自分自身の強さの問題であって、そこまで、「完璧にだめだ!」と思ったことは無いです。

平井 : だめだと言うんではなくて、立ち止まるときはあるでしょ。

塚本 : ええ、壁は必ずあります。

平井 : どうやって、それを超えますか?

塚本 : ネガティヴな気持ちも、ポジティヴな気持ちも、自分という同じ箱に入っていて、壁にぶつかった時は、一歩、箱の外に出て、その自分という箱まるごとを大切にしようって……自分をrespect(尊敬)しようと思うんです。

平井 : 必ず、進むと!

塚本 : ええ、

平井 : 楽天主義ね!!

塚本 : そうです! それって必要なことだと思います。

平井 : 先日彫刻家のデルブレ(Louis DERBRE)さんがね、「昔はよく創る事に悩んだ、でも、今は悩まない……でも、そこまで来るのに60年かかった、本当に今は、自分の中にあるもの、素直に、どんどん出して表現していく、そういう日々でうれしい」ってね。こういう事を語ってらっしゃるのね。私ね……凄いな~って思ってね。

塚本 : 壁に向かったときは、本当に悶々としますが、でも、諦めたくない、先に進みたい、続けるしかないなって、そういう気持ちだけなんですよ。

平井 : なるほどね、持続が必ず、身を結ぶと……

塚本 : 少なくとも、自分自身の中に何かがあるというのは、信じられます。

平井:きっと、この樹がどんどん大木になるように、塚本さんの絵も更に充実して、一瞬一瞬のdimensionを感じられるような絵になっていく事を期待します。

塚本 : ありがとうございます。

2001年12月4日

塚本邦愛

画家
福岡大学 法学部卒業。
会社勤務後、服飾専門学校に通い、舞台衣装を制作する。
1991年渡仏、油絵の制作を開始する。
1994年グループ展参加、95、97、98年、福岡のギャラリー山岡屋にて個展。
2001年Salon de Choisy-le-roi サロン参加。
現在、フランスにおいて、「樹」をテーマに、自分の内面世界の表現に挑戦。

平井愛子

アートプロデューサー
パリ第4大学考古学・美術史学部、修士、DEA修了、エコール・ド・ルーブル博物館学修了。
パリを拠点に日仏のアーチストを両国に紹介し、展示会を企画運営。
明年もある彫刻家を日本に紹介予定。