文字と絵画

2001/04/05 (��) 01:00 | Kaléidoscope, Le Pont

それじたいはけっして<表現>への架橋をはたすことなく進化を完了していながら、なおかつ現存においてあらゆる<表現>と通底しているような表出、あたうかぎり高度に洗練された、しかも非表現的なる表出=定型がもとめられるはずだ。
菅谷規矩雄『詩的リズム』

文字のはじめは、象形文字であった。漢字だけではない。「表音文字」として現在では多くの西欧言語をかたちづくっているアルファベットも起源をたどれば同様である。アルファベットが表音文字として機能するようになったのは、民族の交流の中で文字を持たなかった民族が既存の文字を自らの言語に適用するために、もとの言語から文字体系のみを切り離し、その音韻にあわせて調節した結果である。
そもそも文字とはそれ自身媒体である「ことば」を、別のなんらかの媒体によって定着させようという欲求から発明されたものである。だがいったいなぜことばが定着されなければならなかったか。人間同士のコミュニケーションのため、とのみそれを捉えてしまっては、古代にことばあるいは文字が持っていた呪術的なちからを見落としてしまうことになるだろう。たとえば卜占の骨や墓からの出土品などにみられる文字に媒介されたことばは、神、あるいは霊とのコミュニケーションを可能にする願いを込められていて、文字という媒体はことばによって、あるいはベンヤミンの言を借りるなら、ことばに「おいて」おこなわれるそのような伝達を妨げるものであってはならなかった。
神的なものとのコミュニケーションのためのことばの媒体。それが文字として結実するまでさまざまな試みが行われたはずだ。それらがどのような身体感覚に基づいていたにせよ、模倣がその基盤をなしていたことは疑いない。そうした試みの中から、絵画的模倣から発したことばの視覚化という道が選ばれた。その意味で絵画には、言語記号たる文字への契機がふくまれている。だが対象の直接的な模倣はいまだ文字ではない。図像が文字となるためにはロゴスが必要であった。古代人は、絵画的描写を現象の直接的な模倣からひとたび切り離し、そこにロゴスを込めることによって、文字を創出したのである。

二十世紀の思想、芸術は、ロゴスの危機、ことばの危機が表面化したところにはじまる。この、たとえばダダイスムなどがにぎにぎしく喧伝した危機の意識は、二十世紀の芸術家、詩人といった人々の多くが共有するものであった。いくにんかの画家たちは、言語記号を問いながら、文字に出会った。「記号、痕跡、エクリチュール」と題されてポンピドゥ・センターの片隅に集まった八十枚の絵画のいくつかに、そのような画家たちの思考の
「痕跡」を見ることができる。
「詩はその原語で読まれなければならない」と、ホアン・ミロの絵画をエクリチュールとして捉えたのはレーモン・クノーである。クノーはミロの絵画を「解読」するべく「ミログリフ辞書」なるものを提案する。この辞書はおそらく、「鳥」(この動物が神々や霊の世界と人間世界を結ぶ使者としてしばしば考えられていたことを思い起こそう)、または「女」や「星座」といった象形文字「ミログリフ」が展開する寓話的世界を説明してくれるはずである。だがそのような「解読」にもまして重要なことは、これらの「文字」が拠って立つ形象そのものに対する画家の態度である。ミシェル・レリスがミロについて述べているように、その絵画では「構造」が「融解」し、「無慈悲なまでに蒸発」している。形象はひとたび無定形の染みにまでに還元されて物質、あるいは色彩)そのものとなり、そこから対象が再構成されねばならなかった。その再構成の中途にあらわれはじめる形象が「ミログリフ」なのである。 この形象の問い直しは、アンドレ・マッソンやヴィクトール・ブラウナーにおいては人間的形象に向かっている。ふたりの描く世界は相当に異なっているとはいえ、そこではつねに「人間」がエロティシズムやその他のちからによって歪められ、ときには融合し、ときには突飛な形象に変化させられている。
詩人としても知られるアンリ・ミショーは、より直接言語記号に向かった。その絵=文字についてミショー自身は、この種の試みを集めた詩集『閂に向きあって』のなかで「運動をあらわす記号についての書き物」と説明しているが、そこで納得してはならない。「運動」というのはすでにことばであり概念である、それは固定されているからだ。かれの<書く=描く>記号は、対象を知覚可能にするために固定するという記号の基本原則に反して、運動、それも無秩序な運動そのものたらんとしている。記号に、暴力が加えられている。

久保昭博
1973年生
東京大学教養学部言語情報科学専攻を経て、
現在パリ第三大学でフランス二十世紀文学を研究