パリの乞食
最近、坂本繁二郎(1882-1969)の初期作品「パリの乞食」を取扱う機会にめぐまれて、むかし九州の片田舎に隠棲する画家をたずねたときのことを憶い出した。
79才の老大家は28才の見習画商を誠実にもてなし、2時間あまり、熱心に映画論を語りつづけた。その内容はもうほとんど忘れてしまったが、ひとつだけ深く心に残っている話がある。画家はぼくにこう云った。
「あなたもいつかルーブルへ行くことになるだろうが、そのときはまっすぐコローの部屋へ行きなさい」
とっさにぼくが思い浮かべたのは、コロー特有の灰色がかった緑色の風景画であって、その湿り気を帯びた空気と異なる、坂本繁二郎の乾いた壁土のような静物画とは結びつかないので、しばらくぼんやりとしていた。
すると老大家はこうつづけた。
「コローと云えば誰しも風景画を思い出すだろうが、コローの素晴しさは人物画にあるのです。彼の婦人画像は農婦や手伝い女にすぎませんが、若し道で行き会ったら思わず声を挙げてすがりつきたくなるような、有難い感じを漂わせております。わたしはそういう絵を描きたいと願ってきました。
いまでこそ、わたしは静物や馬の顔などを描いておりますが、若い頃フランスで人物を描いたこともあったのです。でもみんな同じことで、もの懐かしさをつかみとるための材料にすぎません。わたしは、その感じを物感と称しておりますが」
そう語り終えると老大家は1冊の作品集をさし出した。
ぼくは「若い頃フランスで」という言葉にひかれて、初期の作品をゆっくりと見ていった。
数点の婦人画像の中に1点だけ、男か女かよく判らない奇妙な老人の図があり、「パリの乞食」(1923年 27×19.7㎝ グワッシュ)と題されている。
ぼくが「こんな乞食はどこにいたんですか」とたずねると、老大家はこう答えた。
「道ばたです」
あれから43年。それにしても、物感とは耳馴れない言葉だと、長いあいだ心にとどめていた。
いま実物を手にとってみると、小さな作品とは思えない豊かな重みをたたえて、ぼくを打つ。それは、図版で見たことがあるから伝わる親しさというよりも、人生の中で出会った経験豊かな老人たちの原像への根源的な懐かしさというものだろうか。
やがてぼくの心に「この絵には不思議なレアリテがある」という凡庸な表現が浮んだ。そして、物感をレアリテと訳せばよかったのだと気付いたのである。
もちろん、レアリテは現実そっくりであることを意味せず、その反対に、或るものが別の表現に置き換えられることによって現実を通りぬけ、無意識の、太古の記憶の層に触れるとき生れる情動を云う。
例えば、太古の人類にとっては終末を暗示したであろう夕焼けの、いまなお悲しい懐かしさのごとく。
さらによく絵を見れば、乞食の眼は夕焼けの残照のような鈍い光を放っているのだが、ちっとも悲し気ではないのであった。
まぎれもなくここにいるのは、太古から変らぬ人間の、生きねばならぬ人間の原型そのものであるかのように。
2004年12月
軽井沢にて
中川 瞭
1933年 大連生まれ
日大ニ高夜間部卒
大阪梅田画廊で10年間修業
1969年 東京銀座にパピエ画廊創業
1972年 軽井沢に出店