若き祖父と老いた孫の物語

2002/12/11 (��) 06:10 | Le Pont, Traversée du Pont

この本は、外国に向けて開国し始めた時代の日本にやって来たある若きフランス人士官と、その120年後に祖父の日本滞在を知った孫の2人の物話です。祖父の話があるからこそ孫の話も存在し、又逆もしかりというわけで、2人の話は時を超えて重なりあっているのです。孫の名前はピエール・クレットマン、祖父はルイ・クレットマン。わかりやすいように以下、ピエール、ルイと呼ばせていただきます。
理工科大学および工兵学校を出た若きルイは、1876年、明治9年に日本に上陸しました。日本軍を近代化し、幹部候補を養成するためです。ルイは日本政府の要請をうけて日本へ送られたフランス軍事顧問団の一員でした。今日「最初に現代の日本軍を育てたのはフランスなんですよ。」と日本人が言ったら、フランス人は目を丸くして驚くことでしょう。この歴史上の事実は、フランスではほぼ知られていないのです。
ルイは、手紙73通、日記2冊、写真535枚という当時の日本の様子が記された膨大な資料を保管していました。中には、徳川御三卿の田安家の所蔵していた画集4冊も含まれます。こうした資料を1世紀後に孫のピエールが発見することになるのです。
この貴重な資料の改訂をすることは、夢中になれる冒険です。ピエールが夏休みを過ごしていたレマン湖畔のノヴアリーの家で、この資料はひそかに眠っていたのです。ピエールがそれを発見した時、資料が埋もれていたのは、祖父ルイの生誕地ストラスブールが1870年の仏独戦争によりドイツ領となった境遇と関連しているのだと気がつきました。
それまでピエールが日本に特別な関心を抱くことはありませんでした。それが祖父ルイの話を読み始めるなり、すっかり魅了され、やめられなくなったのです。全ての古い記録を改訂するのは大変な仕事です。手紙や日記を解読し、写し直し、分類し、目録を作り、補足のための研究をすることで、ようやく一般の人にわかってもらえるものになるのです。ピエールはその研究の結果を自費出版の本にして、家族の者に配付しました。この膨大な仕事の結果を見て、辻由美女史は本を書く気になったのです。
祖父の記録を読んでいたピエールが最初に驚いたのは、開国し始めたばかりにもかかわらず、ルイがどこでも自由に往来し、住民との付き合いに何の困難も感じていないことです。実際、家族に宛てた手紙の中に、当時の日本社会のいきいきとした描写が見られます。エピソードをいくつか紹介しましょう。キリスト教徒でもないのにヨーロッパと同じようにクリスマスのお祝いをしている日本人を見て驚くルイ。現在キリスト教徒か否かにかかわらず、日本でもクリスマスを大々的に祝っていることは、周知の事実でしょう。辻由美女史は、当時すでにクリスマスが祝われていたなど思いもしなかったそうです。
お正月はヨーロッパのめっきのはがれた日本を見る良い機会です、とルイは観察しています。「12月25日から1月10日まで、人々はほぼ働かず、晴れ着で町をそぞろ歩いています。東京のいたる道ばたで、女子供は羽根つきをして遊んでいます。凧上げの凧の数が多すぎて、通行の邪魔になるほどです。」、、、

ルイは、地理図学、築城術、数学、化学などの授業を担当していました。授業はフランス語で行われましたが、生徒は日本語訳の教科書をもっていました。ルイが作成し日本語に訳された19冊の教本も孫ピエールによって発見されています。
日本から両親に宛てた最後の手紙にはこうあります。「この地を去るのが惜しまれます。顧問団で享受している自立と満足感は、他では得られないでしょう。ただ永久にここにいることはできないと自分に言い聞かせることで、あきらめるしかありません。」、、、

この本のフランス語訳はまだありません。出版社を探しているところです。

辻由美

作家、翻訳家

若き祖父と老いた孫の物語

私の祖父ルイ・クレットマンが横浜に上陸したのは1876年2月7日。フランス軍事顧問団の指導者として、日本軍の幹部養成という明治政府の要請をうけたのです。彼は2年以上を日本で過ごすことになります。
1991年11月より、私は祖父の日本滞在に興味をもちはじめました。11年たった今でも変わらぬ関心をいだきつづけております。
祖父にとってそうだったように私にとっても、日本と日本人の発見はすばらしい冒険でした。この冒険の中で多くのすぐれた、そして非常に親切な日本人の方々に出会うことが出来ました。彼らのおかげで日本という国、その文化、文学、生活様式がわかるようになり、愛着をもつようになったのです。

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ピエール・クレットマン 「若き祖父と老いた孫の物語」
辻由美著、2002年3月 日本語にて新評論より出版
本文は、3月27日パリ、モンパルナスのメリデイアンホテルで行われた辻由美女史のスピーチより抜粋。