Le Pont

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荷物、半分持ちましょうか?

2002/12/11 (��) 01:37 | Kaléidoscope, Le Pont

冒険?冒険に決まっている!
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何しろあの人は、私が産まれた時にはもう、中学校を卒業しようという歳だったのだ。もしも仮に、たった今子供が産まれたとしても、計算してみるまでもなく、子供が成人式のお祝いをする時には、あの人は同時に還暦を迎え、赤いちゃんちゃんこで一緒に写真に映ることになる。同世代の男から元気に差し出される手ではなく、あの人の手をとる。それは私の人生にとって冒険だった。あの人の、優しい手を。 そもそも結婚とは何か。当然のことながら、男が一方的に責任という重い荷物をしょいこむことでもなく、可愛いお人形さん(もしくはかっこいい白馬の王子様)の所有権を一生独占することでもない。「幸せにするから」といってプロポーズされるのは素敵だけれど、「幸せになろう」といってお互いが相手の荷物を半分ひょいっと持ってあげる、それが本当の形ではないかと思う。道中、相手がよろめいていたら、「それもかしなよ」といって、少し余計に相手の荷物も背負う。それが結婚生活。ではその道はどこに続くのか。言うまでもなく、どのふたりも目指すは「幸せ」のはずだ。

それなのに、自分の「幸せ」とは何かも知らずに、結婚を“ゴール”とばかりに突き進む人も多い。「幸せ」は相手の手の中にあって、それをもらおうという考えは幻想だ。「幸せ」の種は自分の胸にある。その種を一緒に育ててくれる人がいるはずだ。そして、その相手の胸中の種も、心底育ててみたいと思える人が。 自分の「幸せ」の種が何色なのか、どんな花になりたがっているのか、それを知るのは我がことながら、それはそれは難しい。自分の魂に耳を傾ける。自分の魂がやりたがっていることを聞く。一生かかってもできないかもしれない仕事だ。自分がやりたいと思っていることの大概は、「欲望」が形を変えたものだ。「欲望」という殻を丁寧に一枚一枚はがしていったその果てに、やっと本当の自分の声を聞く。 私は自分に問う。いったい私は何を求めているというのか。何のために読むのだろう。何のために書くのだろう。何のために考えるのだろう。何のために人と触れ合うのだろう。

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ひとつの答えがきらめいて降りてくる。自分がこの世界に命としてあることを歓びたいからだ、と。では、そのためには?魂がやりたがっている仕事をすればいい。人間として命をもらったからには、私にはミッションがある。必ずや、私だけの使命がある。それをすればいい。私はそれを必死で模索する手段として、読んで、書いて、考え、触れ合っているのだ。見つけたい。心の声に誠実に敏感に生きていれば、見つかると信じている。だってもともと、それは私の使命なのだから。「魂の仕事」をしているたくさんの人々のことを思うたび、焦りを感じる。心がざわめく。うらやましくて、いてもたってもいられない。 そして私は、同じように必死で自分の魂の声に耳を傾けている人に出会った。人生をとてつもなく短いと感じ、焦っている人に出会った。その人が歩いている道の向こうを見た。目を細めて手をかざし、懸命に見た。その先には、私が目指している原野があった。それで、私は言ったのだ。「荷物、半分持ちましょうか?」と。 あの人のそばにいると、私の心には原野が広がる。心地良い風を受けて、心の原野で背の高い草がいっせいになびく。そこに降り立った私は、この上なく自由で鋭敏な獣のようだ。私はどこにでも行けるし、なんにでもなれる。そう思う。

あの人のそばにいると、私の心は慈しみに満ちる。大樹に手を置き目を閉じると涙が出る。その涙の意味を、あの人は説明しなくても知っている。 私はどこまで行けるだろう。
私はどこまで生けるだろうか。あの人と一緒に。

船谷彩子

1976年生
早稲田大学第一文学部文芸学科卒業
現在(株)中央コンピュータシステム勤務
東京在住