モンゴル人と日本人の時間

2002/10/10 Thursday 04:59 | Arts Vues, Le Pont

昨年、一昨年、私と妻は、モンゴルに行き、スケッチをしながら、移動した。昨年は2度目とあって、田舎のナーダム(モンゴルの国をあげてのお祭り)を観に、ガイドを頼んだ。首都のウランバートルは、昨年散策したので、着いて早々カラコルムの近くのツーリストキャンプで1泊。そこは砂漠になりかけている地帯で、ラクダ(※1)に乗り、ちょっとしたゴビを体験。その後アルハンガイの県都ツェツェルレグ、温泉場のツェンケルと移動。温泉場の所長さんがジープを出してくれて、テルヒンツガーンの湖を見に行く事になった。何でもモンゴルでも有数な、避暑地らしい。明後日には、ツェツェルレグのナーダムがある、当然それまでには帰って来て、余裕の行程と聞いた。

Chameau en été 夏のラクダ

夏のラクダ

朝2台の車に乗り込み、モンゴルの歌を歌いながら、和気あいあいと。町のザハ(市場)で、食料を買い込み、さあ出発と。一方通行逆走で、切符を切られた。こんな、車の通らないような道での出来事である。さあ出発と思ったら、もう一台のジープが動かなくなった。部品を変えて、動いたのは良かったものの、先行き不安である。車は、タミール川を渡り、草原に突如巨大な岩が生えているタイハル岩を通り過ぎ、所長のお兄さんの家に寄る。昨年居た場所に来てみたが、見当たらない。どうも今年は場所を変えたらしい。近くのゲル(遊牧式住居)で聞きながら、悪路を、グラングラン揺れながら、辿り着いた。かなりの体力を消耗、それでもしっかりボーズ(モンゴル風餃子)を出してくれたが、あまり食は進まない。お昼休みをとり、所長のお兄さんのおもてなしで、タバルガン(マーモットのような小動物)の石の詰め焼きを出してくれた。料理としては最高のおもてなしだそうだ。熱した石を首から詰め込む、その度に中から、水蒸気が上がる。家族全員が集まった。総勢20名位、家長が分けてくれる。子供にとっては、時ならぬ御馳走、眼が輝いている。なかなか、脂がのってて芳ばしく、美味しい。その後、所長の計らいで、馬を一頭いただいた。当然日本に持って帰れる訳でもなく、儀式として。その後、近場を馬と共に散策。儀式用の鞍は木で出来ていて、走る事は、とても痛くてできない。所長が、日本に来た時ちょこっと東京を案内してあげた。上野動物園と、新宿を。そのお礼として、大変な気づかいである。

そこを後にしたのが、お昼もだいぶたっていた。突然の雨。そして虹。地平線の端から端へ、180度の虹である。感動しない訳にはいかない。チョロート川と沿うように道が走る。脇に100本の枝別れした、巨木のオボー(シャーマン信仰の対象)がある。そのまた先に、チョロート川の侵食による、渓谷がある。高さ100mの断崖が、延々と続く。ちょっとした名勝である。辺りは暗くなりはじめた。ずいぶんのんびりしているから、目的のテルヒンツァガーン湖は、近くだと思っていたが、とんでもない思い違いであった。着いたのは数時間後、次の日の午前2時であった。それから、テントを張り、調理人として同行して来た女の子が夕食を出してくれたのが3時である。羊の肉の茹でたものであるが、これまたなかなか咽を通らない。運転して来た所長は、疲れも見せず、酒を飲みなが陽気に振る舞う。

朝、湖が全貌をあらわす。清々しい湖である。透明感もあって、魚も泳ぎ、向こうに烏帽子岩のような出っ張りもある。やはりその岩にまつわる伝説が残っていた、所長はその話をしてくれた。朝飯前に、湖をスケッチ(※2)。火山によって塞き止められた、比較的新しい湖らしい。烏帽子岩まで、車で行き、水遊び。その後休火山の火口へ、道を間違えて、戻る、かなりの急斜面を登る。その後徒歩にて、20分の急斜面。日本人には疲れる坂道。きれいに火口の形を残している。ちょうど蟻地獄のようで、モンゴル人が、その地獄に捕まった虫のように、滑り降りて行く。7人降りたが、ここでは、縁起が悪いらしく、もう一人降りて来いと盛んに下で叫んでいる。さすがに登りの事を考えると、降りる気に成れなかった。お昼は、その近くのツーリストキャンプでいただく。ここは、料理も観光客の舌に合わせて、食べ易くなっている。時間は大丈夫だからと、火山で出来た、氷穴に寄る。地面にポッカリ穴が開き、万年氷が張っている。とても涼しい。車の調子がおかしいので、修理屋による。ここが修理屋?普通の家である。主人が留守のようでしばし待つ。戻って来たが、何でも穴をガムで塞いだようだ。良くわからないが、そんな単純に直るものなのか、驚きである。

Lac de Terkhiyn Tsagaan テルヒンツァガーン湖

テルヒンツァガーン湖

チョロート川まで帰って来た。ここで釣りをすると言う事になって、皆バッタを採りはじめた。私は、ここでスケッチ(※3)を、雨が降って来たが、かまわず描いた。心配して、所長がジープで慌てて来る。所長は「私の望みは、新井さんに、いっぱい良い絵を描いてもらいたい」らしき事を言っていた。泣ける言葉である。でもスケッチの色は、雨で全て流れてしまった。ここで晩飯、辺りが暗くなりはじめた中、懐中電灯の明かりで、ボーズを食べる。食事が終わると、真っ暗になっていた。さすがに、ここまで暗くなると、心配で、ガイドに今日中に、ツェンケルに着くのか訪ねてみた。「全然大丈夫」の返答だった。それから数時間走ると、2台の車が別々になった。先の車が待つ事になったが、全然車らしきものの気配を感じない。1時間後、何とか合流。またガイドに聞いてみた「今日中に戻れるか?」「ツゲール、ツゲール(大丈夫、大丈夫)」だった。でも走っている最中に、夜の0時を過ぎた。何となく来た時の行程を思い返して、不安になる。騙し騙し運転して来た車が、動かなくなった。一台の車が牽引。朝までに着くかなと、とりあえず聞いてみた。やっぱり「ツゲール、ツゲール」である。とうとう最後の峠は牽引できず、温泉場のトラクターを応援に。

Rivière Tchuluut sous la pluie 雨のチョロート川

雨のチョロート川

9時過ぎに戻る事は出来たが、くたくたである。首都ウランバートルから、ここまで来る時のバスの運転手がニコニコしながら、出迎える。普通一泊二日でこの移動はしないよ、と。そんな事早く言ってくれよと、言いたくなる。とりあえず温泉に入り、仮眠をとる。起きてから、目的の一つである馬のトレッキング。ただ、ガイドに、馬に乗ってて、ナーダムは見れるのか。答えは同じである。馬に乗りながら、昨年スケッチした、遊牧民の親子(※4)に、その絵のコピーを額付きであげる。照れていた、でもうれしそうで、集まった遊牧民に見せていた。乗馬の途中また一軒の遊牧民の家による。そこでもたいそうなもてなし。ただ、時間だけが気になった。その後ナーダムに行くと思いきや、所長は、羊の石焼きのおもてなし。何でも大使館の人が来ていて、その家族と一緒にいただく事になった。そのうち日本の大使になるような人で、日本語がペラペラ。駄洒落も飛び出す。これにはびっくり。

Un père et sa fille - Nomades 遊牧民の親子

遊牧民の親子

やっと、今回最大の目的、地方のナーダムの見学に出発。が、である。競馬は終わっていた。相撲も最後で、良く見えない。ショックで気が遠くなりそう。雑貨屋による。そこで飲み物を頼むが、意識が普通にならない。そこに、店の主人が帰って来た。相撲の大会で、準優勝だったらしい。主人は町の英雄である。気を何とか持ち上げ、主人に頼んでその風貌を描かせてもらう。主人は、快く着替えてくれて、正式なモンゴル相撲の姿(※5)となってくれた。

Lutteur de Tsetserleg ツェツェルレグのブフ(力士)

ツェツェルレグのブフ(力士)

モンゴル人は、旅人に優しい。暖かく迎えてくれる。どこの家でも見ず知らずの人に、お酒だ、お茶だ、チーズを必ず振る舞ってくれる。これも見せたい、あれも味合わせたいと盛り沢山の体験をさせてくれる。日本人は、先ず目的があって、それに向けて、少しでも効率良く、少しでも早くと。気はいち早く目的に向かっている。モンゴル人は、その場を楽しむ、結局目的がかなわなくても少しも気にしない。不思議に思っただろう、何故ニッポン人はそんなに時間を気にするのかと。時間が大幅に遅れても少しも気にしない。だから、焦らない。ストレスが溜らないだろうな~この人達は、と、つくづく思い知らされた。

私はこの後ウランバートルで、ひとり残り、10日間程、スケッチをして回る。モンゴル時間を味わいながら。(※6)

La steppe 大草原

大草原

新井淳夫

画家
1959年生 長野県出身
独立展等の団体展から、1993年より個展中心に発表形態
を変更。以後、年1~2回のペースで開催
テンペラ画と水彩画中心

Atsuo ARAI dessinant en Mongolie モンゴルでスケッチをする新井さん

モンゴルでスケッチをする新井さん






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