浅井サチ子
人の手から人の手へと渡るオブジェは長い歴史を物語る。そのオブジエ達を通して三十年間絵を描き続け、そこに永遠性を追求する浅井画家。 オブジェと一対一で向き合う内面的世界から古い哀愁に満ちたオブジェが外の空気に触れる外的世界へと、作家の視点の流れを見事に作品に完成させたその数々の発表。
浅井サチ子、夢と現実の間で
私が覚えている貴女の絵についての一番古い思い出は、闇に開かれた二枚の扉を描いた大きなキャンバスの思い出である。そこには、画家自身に関する明かしは何もなかった。おそらく絵画の神秘性に直面した悲壮な期待を除いては。
それ以来、この扉は夢と現実が互いに交差し、木霊し合う世界に大きく開かれていった、そこでは遠い昔の想い出と親密なオブジェとが、昆虫学者のような正確さをもって、精密に、愛情を込めて描かれ、これらオブジェの中の最も目立たぬものにも感動すべき配慮がされている。
例えば、襟もとにレースを付け夢想にふける優しい眼差の昔の人形は、破れた新聞の切れ端と隣りあっている。また、マッチ箱は、空中に消えた目覚まし時計と照応している。明確であるが時間を超越した世界、人生のすべての足跡が縺れあい、無我夢中でやっと見つけた迷子の子猫と一緒に、屋根裏に忘れられた古いトランクから勢いよくあふれ出るように。
愛情と言ったが、まさしくこの点で、少なくとも私はそう思うのだが、あなたの特に好きなシュールレアリストと区別される。
あなたの創造した世界において、様々なオブジェは、彼らの末裔の廃れた野心のように、全員、集合!とわめきたてたりはしない。それどころか、あなたの世界は心の回線でつながっていて、点在するオブジェ間のつながりを時間をかけて築き上げた優しい関係である。
にもかかわらず、これらの同じ対象は、最近のキャンバスにおいて新たな宇宙を構成し、劇的に描写されている。
先ず、人形に注目してみよう。あたかも今まさに戦いに挑まんとする侍のように、観る人に立ち向かい、見事なスカートの雪崩にしっかり据えられ、冷酷な眼差を見せている。
他のオブジェはどうかというと、一見無秩序に積み重ねられ、台風の後かあわただしい出発前のように、不安感がもつれあい、今や荒涼とした世界に無造作に投げ出されているかのように見える。
しがしながら、望みは残され、黄金の空には、熱気球が軽々と揺れ動き、優しい鳩が細い糸に繋がれて地上に留まっている。
ジャン・バーゼンヌ
1992年4月
メッセージ
人との出逢いがあるように物との出逢いもあります。いろいろな土地で出逢い、私のまわりに集まってきたオブジェ達が、アトリエでの私の仕事ぶりを眺め、時には参加し、私の絵の世界に入り込んできます。
彼らはアトリエの中で時に主役になり、時に脇役となって画面作りに協力してくれます。彼らとお喋りを交わしながら、私はいつの間にか彼らと共に不思議な時間を共有して、それが作品となるのです。それは古い倉の中で、明かり取りから差し込む弱い光に包まれ、埃くさい匂いに囲まれた数々の見知らない過去の世界に浸った記憶に似ています。そしてまた、今までたくさんの旅をして出逢った風景が、時が経つに従って、私の意識の中で濾過され、そしてこれらオブジェ達が組み合わさって作ったイメージと重なってー種の心象風景となり私の絵の世界を創り上げます。
浅井サチ子