書、舞。

2002/10/10 Thursday 15:39 | Arts Vues, Le Pont

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時、実体がありそうで実は、虚ろなもの。
瀧の流れのように、あるいは砂時計の砂粒が落ちるごとく連続性の中に私の始源も存在する。
そしてここに、また、新たな自分の旅立ちが始まった。

内面をゆさぶり続ける字、それはいつの時代にも存在する。
時をこえて。書き上がった字を見ていると、自分自身が何なのかと、問いかけてくる。その問いに戸惑う。

時を超えて存在すること、それが私自身であり、書き続け、舞いながら、ときには風のように駆け抜けたい。
時を超えて存在できるもの。
人間の思索、造形活動は時を超えて存在する。
例えば、現代の書を考える。
私達の祖先がたくさんいいものを残しているから、新しいものを創り出すためにそうした歴史の重みを振り返る。
かといって、伝統や歴史に振り回されたら却っておもしろくない。
決して、独りよがりでもない、
つきあえばつきあうほど味のでてくるものが芸である。
踊ることも、書も、つまり人間づきあいと同じということになる。
そのうち、見せる、見られるの視覚だけではあきたらなくなる。
長いつきあいにはやはり伝わってくる感覚、感性が必要になる。

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西欧で、書にこだわり始めた。日本で育ったものを世界の人々に通じるものにしたい欲が出てきた。
1950年代後半の頃、欧米の美術が抽象絵画の内発性という点で東洋の書に著しく接近した時期があった。
抽象画の画家たちは、線を描きながら、形を造ろうとする。
それが東洋の書では、捨てろ、捨てろと叫ばれた作意であり、東洋では、無心といわれる、
つまり、”捨てようとする心も捨てよ”ということになる。
書には、抽象絵画の根本であるこの内発性、つまり、
“塗る”より、”書く”は、ぐっと力をこめる手の動き、こころのリズム、精神の昂揚を表す術がある。
筆が呼吸とともに紙の上を舞っていく。
人の心から心へ何かを伝える媒体としては、より力があるような気がする。形にする前の線に、もうすでに独自性がある。
“書く”という行為によって生まれた線は、その時のあるがまま、書く者のもつ味や個性が表れた独自の書線、
あるいは、逆にいうと、心のはたらき、その時の無の状態を筆の動きで表される。

書いていて、自分も気がつかないことを見ている人が気がついてくれる。筆の動きが人に何かを訴える。
そして、書き上がったものは紛れもない自分で、そこにもうひとりの自分が存在するようで、どきどきする。
動きの後に立ちすくむ瞬間があるとしたら、それは、見た目にはじっとしているのだが、
実は内面は、激しく動き続けている。ちょうど、能の舞いが不動になっている時によく似ている。

書という芸は、瞬間の芸である。悟った、あるいは悟らずとも、瞬間を作品にし、
その衝撃を伝えるのが書の極至とする。美しい至芸の前には、雪が降り積もるようにすべての欠点が覆い隠される。
書だけとはかぎらず、あらゆる芸は不思議なもので、心が昂り、思わず気が入りすぎて、
我を忘れるという危険な遊びがないところには真の美しさも生まれない。
はめをはずしそうなくらいの遊びである。
この遊びを見る人に味わってもらうためには、一瞬のイメージをとらえるための感覚的なスピード
(見ている人より、すこしだけ速いスピード)が不可欠である。

美を追求する人を美師と呼び、墨を追求する人を、墨師とすれば、私は、まだどれにも達していない。
今、あるものをほどいて、ないものを探していくのが芸ならば、ずっとそれにたずさわっていきたい。
踊っている瞬間、筆を墨に浸し書きはじめる瞬間に至上の喜びを感じる。

3月の個展では、今やっと墨の色に手がとどきそうな自分におもいきりこだわって表現したい。
ヨーロッパにおける書の実践をより自然なものにできたらいい。
文宝三宝といわれる。つきあえば、つきあうほど人も、紙も筆も墨も赴きを増してくる。
水墨とは、墨が水を呼び、紙の上で解け合って新しい色をつくることである。
まるで、水も、墨も生きているようである。
こういう感覚的なものから、書のあり様をヨーロッパでもごく自然なものにしていけたら。
ゆったりと無心に墨をすりながら、風の音や、外のざわめきに耳をかたむけて、季節を思いながら。

武井真紀子

1992年渡仏。
劇団”たのし”主宰。演出家、役者、日本舞踊家、書家と、多彩な面をもつ。
踊りと書はまったく同じ。動き、テオリー、かけ離れたことをやってる気はもうとうない。
幼少の頃から、条幅作品をてがけ、数々の賞に入選。
1992年より、パリにて、書家として、個展、書教育にあたると同時に演劇活動にたずさわり、役者、脚本、演出もすべて手掛ける。
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書道塾につれていってくれた父
無心に墨をすっていた子供の頃、書道塾につれていってくれた父。結局、その
塾の師ではなく父がいつも傍らにいて墨をすってくれ、指導してくれ、書いて
いました。得にこの人といえる長年の師はいません。もっぱら父にいわれるまま筆をもっていた書の道でした。

辿り着いた”なぜ?”
人間の表現の根本が線を引くということなら、その一番単純で素直な衝動に私がすっ裸であらわれる。
術ではなく能である。では、なぜ書くのか、踊るのか、演じるのか、なぜ遊ぶのか。
人に見せるということで、見られるから生まれるパワーがある。
製作の現場を見せたり、書く瞬間を見せたり。どれもこれも、不完全なわたしがやっていることだから。
その欠落を埋めようとする悪あがきのようなものだ。
完全な私になったら、もう書くことも、踊ることも、演じることもしなくなくなるにちがいない。

時をこえて”伝統へのジェラシー”
新しいものを生み出そうとする伝統だけが生き残る。大衆芸能こそが伝統に対応できる。
なぜなら大衆は、伝統という感覚をもっているから。感覚として、どうしても必要な作品を造りたい。
見に来て下さいではなく、見たい見たい、こういうのが見たいという芸能、書芸、いつのまにか気持ちのうえで必要な芸。

術ではなく、能
絵と同じで知らない情景は書けない。感じられない季節は書けない。紙の上に筆をおく瞬間の真心は堪え難い。
後はめくるめく幻惑と陶酔と戦いながら、逸る心、
ドキドキ、感性をセーブさせながらその書を終わらせる。
私は踊ったり、書いたりするために生きている。その時、踊ってない時、演出
していない時、舞台の上にいない時、そして、書いてさえいない時、不本意の
様である。だから、、、

1月2日 病院で療養中の父へ

武井真紀子






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