絵具層の中へ

2002/12/11 Wednesday 10:15 | Le Pont, Passion

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地中海に面したスペインの街、ヴァレンシアの水色の空を見上げて「せめてあと十年の時間が欲しい」と切実に思った。五百年も前の絵画技法に惹かれてしまった自分のこれからが全く見えず、何年かかるか解からない勉強の重さだけを感じていた。

日本の美術大学を卒業し、数年経ってプラド美術館を訪れた。初めて目にした初期油彩画のマチエールの美しさに驚倒した。しかし、どうやって描かれているのかが全く解からない。資料を集め、原材料を求めた。最初の手がかりだった「油彩画の技術」の著者、クザヴィエ・ド・ラングレが亡くなったことを知ったとき、独学を覚悟してマドリッドからヴァレンシアに移り住んだ。

ヴァレンシアは初期油彩画技法を受け入れた土地であり、県立美術館には技法未消化の画家の絵がたくさんあった。これらは完璧に仕上がった巨匠たちの作品より、製作過程がわかり易い。
さらにここの聖体修道院にはエル・グレコ、モラレス、マビューズ等、きら星のごとくの作品群が一室に収められていた。
中でも、ロヒール・ヴァン・デル・ウェイデン工房時代のディルク・ボウツと思われる三連祭壇画の美しさは出色だった。ひと気のないこの宝物室に足繁く通い、自分で作った下地と絵具の効果を、ボウツのマチエールとつきあわせる日々が続いた。

数年経って日本に帰ることになった。当時の日本では、イタリアの金箔地背景テンペラ画技法とドイツのマックス・デルナーが提唱した混合技法の紹介が始まり、西洋古典絵画技法はひとつの流行になっていった。その中で私が模索したのは、西洋中世からのデッサン技法、透明水彩画技法を初期油彩画技法の中に体系づけることだった。その過程でおこなった古くからの東西絵画技法の比較は、以下のように絵画技法における「普遍性」を覚らせてくれた。

上層樹脂油彩絵具


顔料を乾性油で練れば、油絵具となる。西洋では乾性油として亜麻仁油や胡桃油等が使われ、日本では荏(え)の油と桐油(きりあぶら)が使われた。乾性油は酸化して固化する。油と顔料を混ぜた東洋式油絵具は古くからの使用が知られている〔密陀絵(みつだえ)〕。乾燥剤として一酸化鉛の添加が試みられたのも東西一緒だ。ただ日本では稀釈材が確認されていない。 西洋初期油彩画技法の特徴の一つは、上層の絵具が油と樹脂を含むところにある。樹脂により、油だけでは得られない透明性がもたらされた。
日本では塗料用樹脂として漆が使用される。漆に顔料を混ぜた絵具による絵画は、太古から数多く存在している〔漆絵(うるしえ)〕。
漆は堅牢だが最終的に磨く必要がある。漆に少量の荏の油または桐油を混ぜたものは、磨かなくても輝きを放つ。漆と油の混合物をそのまま、あるいは各種の顔料を混ぜて漆・油混合絵具として塗られた〔塗立(ぬりたて)〕。
西洋初期油彩画技法の他の特徴は、水性絵具の上に油性絵具を重ねるところにある。これは色の深みをもたらす効果がある。水性絵具(日本の場合は膠絵)の上に透明な油を塗る技法は日本にも在った〔油色(ゆうしょく)〕。これはイタリアのギルランダイオ等が、テンペラ画の上に油を引いた作例に重なる。膠絵具の上に漆・油混合絵具を用いれば、テンペラ絵具の上に樹脂油彩絵具を重ねた西洋の初期油彩画技法の作例に対応する。この視点での絵具層の確認はされていないが、技法の可能性として充分に在り得たと思われる。

下層水性絵具層


水性絵具による絵具層の構造にも共通点は多い。これは下層絵具としても用いられた。水性絵具による絵画技法の仔細は、日本では膠絵技法として残っている〔日本画〕。西洋ではテンペラ画技法として確認されているが、写本画として用いられたゴム絵や、西洋の膠絵もまた、似たような構造を持っただろう。

[西 洋] 羊皮紙の裁ち屑を膠にして、白亜(炭酸カルシウム)または石膏を混ぜる。近年は兎の皮の膠を使用。
[東 洋] 鹿の皮の膠と貝殻を砕いた炭酸カルシウムを混ぜる。近年は牛の皮の膠を使用。
墨デッサン
[西 洋] テンペラ絵具の黒で描く。
[東 洋] 膠と煤を練り込み、乾燥させた後、水とコロイド状態にさせた「墨」を使用。テンペラ絵具のように塗り重ねが容易。
半調子の形成
[西 洋] 酸化鉄系土製顔料によるテンペラ絵具を画面全体に塗る。インプリマトゥーラ。
[東 洋] 酸化鉄系土製顔料による膠絵具を画面全体に塗る。
白の描き起こし
[西 洋] テンペラ絵具の白。
[東 洋] 膠と貝殻粉末を充分に練りこんだ白。 以上の工程で、基本的な暗部、中間部、明部が確立される。この上にテンペラ絵具と、膠絵具とでそれぞれ彩色される。

   
   

初期油彩画のマチエールに近い効果が出せるようになり、デッサン、透明水彩、油彩画技法が体系づけられた時、望んだように十数年の歳月が流れていた。私はまたヨーロッパに来た。現在、シルキー・ペインティングと呼んでいる私自身の内なる技法を、制作に没頭することによって構築したかった。透明な絵具層に光を組み込むこと、そのための色彩論を確立することを求めた。さらに十数年が流れ過ぎた。未知の場所に至る冒険は今も続いている。






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