大江健三郎の最新小説「宙返り」を読む

2004/10/17 Sunday 06:31 | Le Pont, Traversée du Pont

「宙返り」:新たなる賭け
まずタイトルについて一言。 1998年に行われた講演(成城大学)において大江健三郎自身が述べていたように、「宙返り」という表現はフランス国王アンリ四世が言ったとされる(1)。日本フランス語フランス文学界が開催したこの講演会には、私も同僚とともに出席する機会に恵まれた。その際、フランス入は水泳でも英語のクイックターンの意味でこの表現を用いるのを知っていたといささか誇らしげに大江は語っている。事実、彼は大の水泳マニアなのだ。
私が思うに、大江健三郎は自分の作品の意図を読者に解説する、希有な作家のひとりである。哲学者,鶴見俊輔との対談中にも、新作のタイトルの由来を語っている(2)。
「宙返り」というタイトルをよく理解するには、小説と密接な関係をもつ1995年3月におきた社会的大事件に言及しなければならない。つまり東京の地下鉄サリン事件である。実行犯のオウム真理教の訴訟は、現在、東京で進行中だ。

1) 実際のテロ事件と大江の描く架空のカルト集団の襲撃計画との類似点と相違点

この悪夢のような地下鉄サリン事件は大半の日本人の記憶に新しい。世界の終末が近いという、オウム真理教の師の予言を真に受けた信者からなるゲリラ部隊が、東京の地下鉄車両内で猛毒のサリンをまき散らし、死者を出したのだ。 麻原彰晃とその信奉者たちは、現在訴訟中であり、ここで彼らの真の目的を述べるのは時期尚早だ。いまだに解明されていない部分も残っているからである。ただこの襲撃が、麻原の指令のもとに決行され、地下鉄の従業員2名と1O名くらいの乗客が命を落とした事実にかわりはない。大江の描くカルト集団は、オウム真理教を思わせる。作者がサリン事件を題材にしていることは明らかだ。
なるほど、現実におこったオウム真理教によるサリン事件と、小説の中で創作された、世界の終末を予測しての襲撃計画は酷似している。とはいえ、大江健三郎の架空のカルト集団のリーダーは、前代未聞の声明を発表する。土壇場で、つまり、コマンド部隊が原子力発電所に攻め込もうというまさにその時に、自分の教義は、とどのつまり<冗談>だったと言い出すのだ。それに反しオウム真理教の実行犯たちは、実際にサリンによる恐ろしい殺入を犯したのだ。
小説「宙返り」では、<パトロン[=師匠]>と称された主人公は、そこで一部の信奉者たちから罵られ、嘲弄される。「憶病者」、「これまでの苦労を水泡に帰する気か」という罵倒にも怯まず、<パトロン>はすべてをご破算にする決心をひるがえすことがない。彼に代わって質問の矢面に立たされた協力者(小説ではくガイド[=案内人]>と呼ばれる)はカルト集団の跳ね上がり分子によって殺害される。
大江の小説を読んでいると、読者はサリン事件との関連に気付き、テレビで放映された恐ろしい殺戮の場面を想いださざるにはいられない。
事実、小説の登場人物、育雄は機動隊による富士山麓にあるオウム真理教の本部包囲の場面を見て、だからこそ、<パトロン>とくガイド>にも関心を持ったのだと語っている。育雄はオウム真理教の信奉者がおこなった「宙返り」の証人なのだ。彼はこう述べている。
<師匠[=パトロン]>とく案内人[=ガイド]>の「宙返り」に、自分が関心を持ってきたのはそのとおりです。それも、オウム真理教の壊滅ということと関係がありました。富士山麓のサティアンが警察に包囲された時、自分はテレビの前から離れられなかった。サティアンの内外で銃撃戦が始まりそうでした。化学兵器を準備しているオウムの反撃が、大蜂起になるかと昂奮していました。そういう時、関連番組として「宙返り」を回顧する特集を見たんです。あれが実際にあった時点でもやはりテレビで見たのを覚えていますが、なにぶん子供でしたから、オウム真理教をめぐる大報道のついでに、古いヴィデオを編集したものが、私には新しく刺激的だったわけです。
しかし、何も起こらなかった。進撃の指令を出すはずの麻原が、大金の入ったトランクを枕に寝ているところを捕まった。そういう報道で、正直ガッカリしました」(3)。
小説では、<パトロン>の教義の突然の変更は現実的な理由で説明されている。すなわち、このように行動すれば、オウムの二の舞いになってしまうというわけだ。彼はこう述べている。
<_師匠[=パトロン]>の「宙返り」は、むしろ教団がオウム化する危険を先取りして、反社会的な芽を摘みとるものだ」(4)
大江健三郎の新作は、現在訴訟中のオウム真理教の事件を真っ向から取組む、野心的な試みなのだ。では作者はどうしてこのようなテーマを選んだのであろうか。

2) 世紀末に生きる若者たちの問題
この小説の出版後におこなわれた新聞記者との対談で、大江健三郎はこう述べている。オウム真理教の教義には断じて同意できない。だが、どうしてこのようなカルト集団に、現代の若者たちは惹き付けられてしまうのか。その理由を真面目に考えてみる必要があるのではないか、と。
朝日新聞の女性記者に対する大江の発言は以下の通りである。
「彼らの教義には感心しない。しかしオウム真理教を必要とする若い人たちが多いことには関心をもちます。時代の深い混迷と、魂のことを強く求める心が重なって、信徒がふえた。そうある以上、事件から十年後、求める心をもった人々はどうなっているのか。世界のカルト集団もそうだが、教団の組織が同じであるなら、間違いもまたおきる可能性があるのではないか」(5)
大江健三郎の小説が出た際には、カルト問題が大いに論じられた。というのも、カルト集団に入信する若者が後をたたず、新しいカルトさえ誕生し続けているからだ。いまでも多くの若者を惹き付けてやまない、この社会問題を私が考察してみる気になったのは、そうした状況による。
同じ頃、カルト問題に詳しい日本人専門家の加わった討議会をテレビで見る機会があった。専門家によれば、経済的に豊かな国では、詐欺的な募金活動、財産収奪など、カルト集団の活動の犠牲となる若者が多いという。そして専門家は経済的に豊かな国に共通する特徴として、以下3点を挙げた。
1) 信教の自由
2) 私生活の尊重
3) (経済的な)ゆとり

日本にはすべてがあてはまる。
第一に、憲法で保障されているようにすべての日本国民には信教の自由があるm
第二に、法律により、宗教団体の活動に参加する者の私生活は守られている。
第三に、経済不況とはいえ、全身全霊をゆだねる宗教団体に信者は己の財産や貯金の一部を布施することができる。
上記の3点がわが国の社会状況にあてはまる時点で、どうして今日の若者たちがカルト集団に惹き付けられるのか、その本質的な理由が見えてくる。これらの若者たちにはある程度までは経済的なゆとりがあるが、彼らは病んだ魂、己の内心のドラマを誰かが読み取ってくれるのかどうかを自問しているのだ。
小説において大江健三郎は登場人物のひとりにこのように言わせている。
「…オウム壊滅の後、魂の救いをもとめているが行き場所のない若者ら、娘たちはどうするのか? …](6)。

3) 結びにかえて
先に言及した大江健三郎と朝日新聞の記者との対談で、彼が最新小説「宙返り」を書くにあたって、文学上の技法を変えざるを得なかった理由を私は説明した。その動機が現代のわが国の現実と密接に関連している点をご理解いただければ幸いである。
その意味で、文学上の戦術にかんしては彼のかつての指南役[=ジャン=ポール・サルトル]から離脱した感のある大江健三郎ではあるが、彼は依然として社会参加の日本人作家[エクリヴァン・アンガジェ]であり続けていると私は確信するものである(7)。(2004年5月10日。東京にて)。

注)
1)Y.Cazaux: Henri IV ou la grande victore. (Albin Michel,1978).p.309.
「その同じ日、7月23日の早朝、力トリック同盟との停戦は決ったも同然だとアンリ四世は確信した。王はガブリエル・デストレにも手紙に書いた。[中略]そして皮肉というよりも気掛かりな次の文句を付け加えたのだ。<この日曜日に、私はひとつ宙返りをすることにします>と。」
2)雑誌「群像」1999年7月号。《対談鶴見俊輔/大江健三郎「揺すぶり読み」の力「宙返り」を語る》p.190-216,
3)大江健三郎「宙返り」(l999年、講談社)。[下巻]、 p.62.
4)同[下巻].p.12.
5)朝日新聞夕刊(1999年5月19日)。
6)大江「宙返り」[上巻].p.339.
7)たとえば、最近では「リベラシオン」紙(2003年12月1日号)に大江健三郎は記事「私は怒っている」《Je suis en colere》を寄稿し、白衛隊のイラク派兵に強く抗議した。

P.S.市川慎一教授の大江健三郎「Pour mieux comprendre OE Kenzaburo」が、ブルターニュ地方で発行されている雑誌「Hopala!」(2002年No11)に掲載された。その抜粋コピー(仏語)は協会にて入手可能。

市川慎一

1936年 東京赤坂区、青山に生まれる。
1963年 早稲田大学文学部修士号。
1966年~1969年 フランス政府給費留学生としてモンペリエ大学入文科学部にてジャック・プルースト教授の指導のもとに第三期課程を修学。
1970年より早稲田大学政治経済学部講師、助教授、文学部助教授をへて、1989年よリフランス文学・比較文学教授。
2001年 フランス政府教育功労賞受勲。
1983年以降世界各地で講演をして現在に至る。

「宙返り」

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「宙返り」上下 大江健三郎著 講談社 1999年6月発刊






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