2002/10/10 Thursday 06:54 | Kaléidoscope, Le Pont

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私がまだ小さかった頃、父親の背中に負われ、青空に飛ぶ鳥たちを見ながら、自分も大きくなったらあの鳥たちのように大空を飛び回りたいと夢に見たのが、まるで昨日の
ようだ。小さい頃から夢に見ていたことが40歳を迎える今でも頭の中から離れない。そのわけか、普段の仕事のストレスやパリの公害を逃れる為、私はよく一人旅に出かける。
特に好きな場所は、自然の多いアフリカやアラブの国で、何故か毎回心をひかれるものがある。

以前、アフリカに行った時、ある小さな村を訪ねた。この村を訪ねるのに、どの道をどう通って来たのか全く思い出せないほど、道路もなければ信号もない。見えるのは果てしない野原と、貫禄に満ちた木々だけ。果てしない道を永遠に歩き続けるアフリカ人の姿を見ながら、世界の広さをしみじみと感じた。
この村にたどり着くと、私にしてみればまるで掘っ建て小屋のような家がいくつかあった。それは確かに彼らの家で、この小さな村で初めてアジア人を見たのか、気がつくと私の周りに沢山の人が集まって来た。大きな目をグリグリさせながら近寄って来た子供が、まるで生まれて初めて見るかのように私の長い黒髪を何度も触りながら涙まで流していた。理解に到達するまでもなく、思わず目頭がぐっと熱くなってしまったことがまるで昨日のように思い出される。

彼らの家を訪ねてみると、この小さなスペースの中でおそらく10人は暮らしを共にしているだろう。ベットもなければ、タンスもない。御座のような物が地べたにひかれているだけ。この村には電気も通っていない。雨が降れば、家自体も濡れたままで乾くのを待つしかないのだろう。彼らは自然と一緒に生きている。まるで原始時代の頃のように。

丸半日この村で子供達と遊び、アフリカ料理を学び一緒に食事を楽しんだ。親切にしてもらったお礼に、20キロほどのお米と100本ほどのロウソクをお返しに、この村から離れた。親切にしてもらったというよりも、正直な話、この貧しい人達の生活を実際に見て少しでも何か助けることができるならと、その思いの方が強かったかもしれない。すっかり仲良くなった子供達が、いつまでも手を振りながら見送ってくれた。
素晴らしい思い出ができた。あの子供達はもしかしたら一生あの村から離れる事がないかもしれない。現在のテクノロジーやコンピューター化したこの世界を、一生知る事がないかもしれない。ただ彼らは彼らの生活以上の物を見た事がないのなら、彼らの生活は彼らにとって全く当たり前で、それ以上のことを想像する事もないのかもしれない。

全く同じ時間に、喜びにあふれて涙する者もいれば、悲しみに打たれて泣き叫ぶ者もいる。太陽を浴びながらのんびりとバカンスを過ごす者もいれば、戦争の中で生と死の間を戦っている者もいる。人生の最後を遂げる者もいれば、全く初めてこの世界に生まれてくる子供達。時間の差はあっても世界の人間が同じように時を重ねていく。
真っ赤な太陽が沈みかけていた。静かに沈みかける太陽を見ながら私は大きな深呼吸をした。この同じ地球の中で、時はいつも動いている。
毎回旅行に出る度に、人それぞれの生き方の違い、どちらが幸せでどちらが不幸せという事ではなくて、どのような状況で、どのような立場に置かれて、この世界の人々が人生に時間を費やしているのか?時間は同じように動いても、国によって、人によって、様々な人生があるという事をいつも改めて感じるのです。時間は決して後戻りする事がない。ならば、やっぱり大切に使っていきたい。

小さい頃父親の背中で見た夢は、ただ単に鳥のように空を飛び回りたかったのか、それぞれの国の違い、生き方の違いを自分の目で見たかったのか?旅をするごとに生活の価値を感じたり、生きる喜びを与えてくれたり、これからも時間が許す限りやっぱり私は旅を続けていきたい。

滝本美智代

1962年生 パリ在住 宝石店勤務






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